七夕。昔、笹葉につける短冊に「夏休みはハワイへ行きたい」と書いたっけ。ハワイを想ってマーティン・デニー の
「クワイエット・ヴィレッジ」を聴く。
マーティン・デニー は1911年ニューヨーク生まれのピアノ弾き。作曲もアレンジもこなす。1950年代の中頃からホノルルに住んでジャズや南米音楽を絶妙にブレンドした音楽を演奏し続けた。「クワイエット・ヴィレッジ」は1959年、ビルボードでトップ4に入ったインストルメンタル曲。この曲が収録されたアルバム「Exotica」は、40万枚を売ってNo.1に輝いた。
●ヒットの裏には、もともとアメリカの大富豪ヘンリー J.カイザーが建てたワイキキのホテルHawaiian Village(現在は
ヒルトン系列だ)内の池にいたカエルの伝説がある。それは、こんな話。1950年代後半、1000の船を世界の海に浮かべたと言われる造船王のヘンリー J.カイザーは、ハワイ開発に乗り出しワイキキに豪華ホテルと人工浜辺を造成。その新しいHawaiian Villageホテルには、たくさんの貝の絵が飾られ、周囲を池と椰子の木で囲まれたShell Barなる屋外ホールがあったという。
●ある晩、Shell Barでマーティンのグループが「クワイエット・ヴィレッジ」を演奏すると、池の蛙が音楽に合わせるように鳴き始めた。変だな、と思って演奏を止めると蛙も鳴き止む。演奏を再開すると、また鳴く。すると今度は、メンバーの1人が鳥の鳴き真似(バードコール)をアドリブで始めた。この効果音入りが客に大人気で、次の日からはバンドの3人が鳥、リーダーのマーティンが蛙の鳴き真似をするアレンジが彼等の「十八番」になったという。1956年に録音された「クワイエット・ヴィレッジ」はヒットしなかったが、その後ステレオで再録されると、今度は見事大ヒットとなった。
photo from "Honolulu Star-Bulletin"(海外サイト)
★★★マーティン翁(93歳)は、いまだ元気!
2004年7月30日「ハワイ・インターナショナル・ジャズ祭」にゲスト出演予定
http://www.hawaiijazz.com/
●1959年は、昭和34年。こんなことがあった。4月に皇太子ご成婚、7月にカストロらと共にキューバ革命を成功させた直後の
チェ・ゲバラ が親善大使として来日(12日間滞在)した。11月には安保反対のデモ隊2万人が国会に突入した。アメリカ映画「南大平洋」が公開され、サントラ盤「バリハイ」がヒット。南国と言えば、ペギー葉山「南国土佐を後にして」もこの年に流行した。
【今日のあれこれ】
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ヘンリー J.カイザーは、アメリカン・ドリームの具現者。Think Bigが信条で「ローマは1日にして成らず?それは、私がいなかったからだ」と言ったとか。飛行機好きの富豪ハワード・ヒューズに「史上最大の空飛ぶ船」建造という計画を第2次大戦中にもちかけ、超巨大な飛行艇「スプルース・グース」をなんと木製で完成させてしまった。
●ヒルトン・ハワイアンヴィレッジ前に広がる海の名は、「デューク・カハナモク・ビーチ」。ハワイ初のオリンピック金メダリストにして
「サーフィンの父」のかっての家は、この辺りだったという。当時は自然の内海で、ここでデュークは8人の兄弟達と水泳やサーフィンを練習した。
★★★「スプルース・グース」の偉容を観る
(オレゴン州/Evergreen Air Venture Museum )
www.sprucegoose.org/aircraft_artifacts/exhibits.html