古今洋歌集

…力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和げ、猛き士の心をも慰むるは、それ歌なり。
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火城と河童
都心を撤収して、始めたことが2つ。
ひとつは、教授(比較宗教学)や博士(国立天文台)
や先生(言語学)の講議を聴くこと。
なかには、正規の大学授業もある。

もうひとつが、江戸東京たてもの園のボランティア
主に「燻煙』と云っているが、200年〜300年前に建てられた
木造茅葺き農家の囲炉裏で、日がな一日、薪をくべている。
これが、楽しい。

たてもの園の中には、古い農家が3〜4軒あるが、
ほぼ毎日、燻煙の作業をしている。
ボランティアの平均年齢は、ゆうに60歳を越えている。
主力は、定年退職された先輩方だ。

かれらは、囲炉裏ではなく「ヒジロ」と呼んでいる。
火城または火代と書いて、ひじろか。
三多摩から、相模湖、山梨・富士吉田あたりまで「いろり」よりも
「ひじろ」が一般的だったのだそうな。

小津監督と野田高梧がシナリオを書いた蓼科「無藝荘」のひじろ


たとえば、河口湖湖畔、庄屋の某の家の「ヒジロ」には、
保存食のアブリ魚(燻製)を、河童がたびたび盗みに来た。
朝起きるとヒジロの回りが濡れているので、それとわかった。
しかし、河童は湖の水神とも伝えられており、
庄屋は、そのままにしておいてやった。

で、ある日、ヒジロの脇に巻紙が置いてあり、それを開くと、
「河童膏」という名薬の作り方が書き付けてあり、
さっそくに調合してみると、傷や火傷によく効いた。
庄屋は、その薬を全国に売り出して大金持ちになったそうだ。

河口湖の河童伝説

河童膏の話は、全国にある。
宮城県のほぼ真ん中、2000戸の色麻村では…



色麻と書いて「しかま」町と読ませる。河童が御神体の神社があって、
「おかっぱ様」と云われている。宮司の名も「川童」だそうだ。
やはり、お神酒は黄桜か…。

それはともかく、ここの河童は、お姫さまに惚れてしまって、毎晩のように
キュウリや青魚を届けに来る。姫さまは無気味である。
家来の若侍が、ある晩、姫さまの着物を着て寝所で待っていると、
現れたのは河童でござい。若侍はバッサリと腕を切り落とした。

と、河童ハラハラと涙こぼし「腕を返せ」と懇願。
若侍は「ならば、お前の河童膏と交換じゃ」と薬を手中に。
その後、戦があって怪我した折も、若侍はこの名薬で治し、多くの手柄を立てたとさ。

色麻の河童伝説

河童膏は、またの名を「十三枚膏」と云う。
これは、河童の骨が13あるという伝説に由来する。
卵白、メリケン粉、酢、川柳の葉、さらに黒い粉を混ぜたものとも云う。
この「黒い粉」が実に怪しい(笑)。河童の頭の皿から取るという説もある。

河童の心太

そのほか、青森の大畑町、茨城の牛久(小川芋銭の故郷)、千葉の銚子、
福岡の田主丸、佐賀の北波多村など、河童伝説は数多い。柳田國男もカッパ好きだった。
河童ドン会議
ギタリストのポール河童

【本日のつけ足し】
◆カッパの芋銭コレクション⇒愛知県立美術館
◆浅草・合羽橋「曹源寺」内にある河童堂天井画は、手塚治虫作。
◆伊万里のカッパ酒蔵>⇒松浦一酒造 ◆もの好きな人あり⇒カッパのミイラに会いにいく
◆歴史・種類・禁じ手など?⇒日本カッパ連盟
⇒カッパのリンクあれこれ
⇒カワワロ(川童)とヤマワロ(山童)シバテン
◆佐賀藩・佐野常民についての小説(高橋克彦作)は「火城(かじょう)」と読む。

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