古今洋歌集

…力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和げ、猛き士の心をも慰むるは、それ歌なり。
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禁制の蕎麦

陽気がいいので,弁当もって自転車で散歩に出た。
普段からクルマの多い道は通らないが,今日は交差点でも混んでいない。

まず,井の頭公園を抜け,北へ走って東京女子大の脇から善福寺公園へ。
池の上を、鯉幟が泳ぐ。


一度,仕事場に戻り,冷蔵庫からビールを持ち出し,牟礼の里で弁当。
苔の新緑がキレイだ。少し昼寝した。顔がやや赤くなる。


次に,北烏山のブックオフで,関容子「中村勘三郎楽屋ばなし」と
サライ編「蕎麦通復刻本」を買ってから,烏山寺町を回った。
歌磨の墓(専光寺)はすぐわかったが,為永春水の墓(妙善寺)はわからず。
代わりに,其角の墓がある稱往院前で「不許蕎麦入境内」碑を携帯で撮った。


この寺は別名「そば切り寺」と云ったが、その後一転「そば禁制」とした。その訳は…

稱往院は、江戸中期・天明(1781-1788)の頃は、浅草にあった。
その院内の「道光庵」庵主は信州生まれで、檀家にふるまう蕎麦が名物となり、
多くの参詣者で賑わった。

しかし,檀家でもない蕎麦目当ての町人連が殺到,道光庵主の勤めが疎かになったため,稱往院住職の怒りを買い蕎麦づくりを禁止されたのだと云う。

 江戸古川柳には「道光庵草をなめたい顔ばかり」「湯のわきそうな庵にて蕎麦を食ひ」
「道光庵寺号があらば深大寺」などが見える。

 一説によれば,蕎麦屋の名に「○○庵」が多いのは、この道光庵にあやかってのこと
とか。たしかに,嘉永元(1848)年の「江戸名物酒飯手引草」には,庵の屋号が多い。
嘉永2年生まれ、北海道の鰊と昆布を商って大儲けした鹿島萬兵衛「江戸の夕栄」には,
明治以前の名高い○庵の蕎麦屋として上野無極庵,芝口の出世庵,浅草の道好庵がある。
道好庵なぞ,まさにパクリだな。

 サライ編文庫本「そば通の本」は,昭和5年に浅草やぶ忠の主人・村瀬忠太郎が
語り下ろし出版された本がネタ元だが,その中に出てくる話では,江戸中期以降に
名代と云われた店のうち,正直蕎麦・まこと庵・出世庵の3店を寄せ集めて
「まこと,正直,出世庵」と,ぐうたらな若旦那なぞを戒める際に使ったという。


【本日のつけ足し】
万延年間の1860年、江戸の蕎麦屋が値上げのために大寄合をしたが、なんと約3800店も
集まったそうだ。これでも「よたか蕎麦屋は除く」だった。この会合以後、長く16文
だった蕎麦の値が20文になったと云う(日本食物史年表より)。

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