古今洋歌集

…力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和げ、猛き士の心をも慰むるは、それ歌なり。
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岩を祀る(4)

ごぞんじのように、わが日本では、自然そのものを祀る。
創造主の手で世に生まれ出た人は自然をコントロールできるという
キリスト教聖書にある考え方とは対照的だ。
神さまは、山に樹木に滝に、そして岩に顕現する。

日本で畏敬の念をもって大切にされてきた巨石は数多く、
そうした巨石・岩を巡り研究する方々のサイトも多い。
その情熱には、頭が下がるばかり。

磐座(イワクラ)学会があれば、
「岩石祭祀学」なる言葉を唱える人、
(巨石ではないが)サヌカイトに魅せられた人々のサイト、
実にいろいろだ。



私が訪ねたのは、ほんの少しだが、なかでも印象に残っているのは、
熊野は速玉神社近くにある神倉神社の霊石「ゴトビキ岩」
源頼朝が寄進したという急な石段(これも素晴しい)を昇ると
まみえることができた。

岩を祀る(3)

ヨーロッパで「岩」となれば、古代の巨石文化が頭に浮かぶ。
いわゆるストーンサークル、ストーンヘンジ、ドルメン、メンヒル、モノリス等の名で
呼ばれる建造物(ないし遺跡)で、場所としては、イギリス・アイルランドはもとより、
フランス・スペイン・イタリアと広範囲に作られている。



コンパクトにまとまりビジュアルも豊富な本として、
「巨石文化の謎」(ジャン・ピエール・シモン著/蔵持不三也監修、創元社「知の再発見」双書)が楽しめた。
さらに、今年出版された「巨石 イギリス・アイルランドの古代を歩く」(山田英春 写真・文、早川書房)は、
写真も素晴しく著者の巨石への想いが実によく伝わってくる。

呼び名は色々あるが、最も簡単に分類すれば2種に分類できる。
第1は、胴長の石を垂直に立てた『立石』。メンヒルと総称されて、
ポツンと単独ならモノリス、不規則でなく規則的に並べてあれば「列石」で、
環状ならストーンサークル、周囲に円形の土塁や掘あらばストーンヘンジと呼ぶ。

第二は、立石数個の上にテーブル状の大石を水平に寝かせた『石室』で、
ドルメンと総称される。この多くは昔の墓であって、周囲の盛土などが失われて
石組みが露出したものという。



こうした本を秋の夜に眺め読んでいると、はるか昔へ意識が遡っていくかのような感覚が味わえる。

巨石建造物が造られたピークは、紀元前4000年前、紀元前3000年前、最後は紀元前2000年前の3期があり、
紀元前1000年代を最後に姿を消した。
数は、イギリス・アイルランド両国だけで約1000カ所にのぼる。

何のために使われたか、多くの説がある。造られた時代や場所によって異なるが、
・墓であり集団祭儀の場
・太陽や月の運行を観測し祀るための天文観測所
・四季ごとに人々が集い交流し合う聖地

などが代表的だ。中世の伝説には「巨人がこしらえた」「お祈りをさぼって荒れ地で
踊っていた娘らが石に変えられた」、最近の伝説には「UFOの発着所だった」
「超能力のトレーニングセンタだった」というのもある。人智を超えたチカラがある
という説は根強く、子供を授かる、赤ん坊を浄める、生き物の生命力を強めるなどと
長く伝承されてきたようだ。

大きな岩そのものを祀るものではないが、「巨石は生きている」との伝説は多く、
夜中に踊り出す、水を飲みに河へ降りてくる、海水浴をしていた、谷間を散歩していた、行方知らずになった、とまるで人のよう。実に愛らしい。

ウェールズの詩人は「石は人の手を借りて歩き回るが、無理に動かそうとすれば
テコでも動かない。石は人々の願望に合わせて自在にカタチを変える」と謳ったが、
その言葉に共感できると山田さんは自著に記している。
また、今でもイングランド南西部エイブベリーの民宿主人は
「ここには、世界のあちこちから人がやって来る。石に呼ばれているような気がする、
という人が多いんだ」と語るのだそうだ。

巨石建造物(なかでもストーンサークル)の神秘さに魅了され、
18世紀には新たな擬古宗教=ドルイド教を興したウィリアム・スチュークリなる
人物は非常に有名で、白のフード付き僧衣、長い顎鬚、長い杖をかざす神官が、
ケルト神話やアーサー王伝説を上手に調合したイメージを演出し、これは現在でも
セクト的な活動として信奉者がいるそうだ。

また、20世紀の初頭に欧州でストーンヘンジやストーンサークルが脚光を浴び観光客を
集めるようになった理由のひとつは、写真撮影の技術が向上普及し、
絵葉書が大量印刷され世に広まったからだそうだ。
岩を祀る(2)
ピルグリム(巡礼)と岩をめぐる伝承は、イスラムにもある。

ただいま本年のラマダーン(RamadanあるいはラマザーンRamazan)中である
イスラム教圏、その総本山たるメッカに、特別な岩(石)が祀られている。
それが、カアバ神殿の外壁に嵌め込まれている「黒石」だ。

町野和嘉さんの写真展「メッカ巡礼」が吉祥寺で開かれており、そこで知った。
巡礼の様子が日を追って展示してあり、イスラム者にとって最大の儀式、
イスラムのヒジュラ暦 第12月に行われる大巡礼がいかなるものか、朧げながら知ることができた。


TIME A Pilgrim's Progress


黒石(ハジャル・アスワド Hajar Aswad)は、神殿の東南の角、高さ1.5メートルの位置にあり、
巡礼者が服で拭って接吻したり撫で回したりしたため、すっかり減ってしまった。
いまは周囲に大きな銀製カバーがつけられ、さらに樹脂で被われている(写真右)。
黒曜石のようだが、月からの隕石とも「神の指先」とも信じられている。
大巡礼はカアバ神殿の周囲を左回り7回巡回するが、この黒石が目印(起点)となる。
全体の大きさは、プリマスロックより小さい。岩でなく石か。

以下は、写真に付けられた説明と、写真集「メッカ巡礼」中、
ササイド・ホセイン・ナスルなる先生(ハーバードで哲学博士号取得)の文から。
クルアーン正史とは違うやも知れぬ。

この石の来歴は、さかのぼれば人類誕生の神話に行き着く。
人類の祖アーダム(身長39m)がハウワ(Hawa イブ)と共に天の国を追われたとき、
その楽園にあった石を持って地上に降りたのだ、との伝承がある。
もうひとつ、大族長イブラーヒーム(アブラハム)が、カアバ神殿を再建する際に
天使ジブリール(ガブリエル)から授かったのだ、との伝承もある。

カアバ神殿自体、アーダムにより「神の玉座」として築かれた館で、
アーダムの遺体を安置した墓所も、この地とされる。
追放後のアーダムは、ハウワと別にサランディブ島(セイロン)を経て
アラビア半島に着き、彼女と再会したのだ。ハウワの墓所は海辺のジェッダとされる。
その後、ヌーア(ノア)の洪水のとき、アーダムの遺体は水面に浮かび出た。
かの箱舟は神殿と遺体の回りを7周したのち、北方へ去った。



千年後、火でも焼かれぬイブラーヒームの一族が、伝承に登場する。
イブラーヒームが長男イスマーイールを犠牲に捧げんとした場所(旧約聖書では
アブラハムと次男イサク、モリヤの山)は、イスラム第三の聖地エルサレム(al-Quds アル・クドゥス)、
岩のドーム内にある「聖なる岩」(写真右)の上と伝えられる
さあ、ここでも「岩」の神話だ。

長さ18m、幅13.5m。平べったい岩塊で、写真では、さほど硬い岩ではなく見える。
だが、この岩の「聖性」は非常に強い。
なんせ、旧約聖書でソロモン王の第一宮殿があった地である。
世界が創られしとき基礎(Foundation Stone)となった原初の岩、楽園の庭にあった岩である。
アブラハムがイサク(イブラーヒームがイスマーイール)を屠らんとした地点である。
アーダムが天から降り立ち、ムハンマドが天に昇った、まさにその地点である。
そうした伝承の聖地点なのだ。

(いやいや、神がイブラーヒームの信仰を試したのはアラビア半島であり、
 一説にハッジの巡礼地であるミーナの谷、一説に現イエメン サビルの山との伝承もある )

ムハンマドの踵の跡(小さな祠が建てられ、モハンマドの鬚の入った箱もある)、
天使ジブリールの指の跡(ムハンマド昇天の折、岩も天に昇ろうとしたが、
天使が両端をつかみ力を込めて地に留めた)ありとの伝説も生まれた。
岩を削り取る輩が多いため、12世紀十字軍により保護柵がつけられた。
岩の下は洞窟で、死者の魂が集い祈る「魂の井戸」(Bir el-Arwah / Well of Souls)と
信じるイスラム者がいるという。伝説つきぬ岩だ。



さて、話戻って、神により救われ祝福されたイブラーヒーム親子はアラビアへ帰る。
そこで、神の平安(サキーナ)は風となり龍の形の雲を運び、神の友イブラーヒームをば、
聖なる丘へと導く。ここぞ、まさに洪水で埋もれたカアバ神殿の跡であり、
父と子は、大地を掘り、古き神殿を見つけるのである。

そこには、石があり、神の言葉が刻まれていた。
「我はバッカ(マッカの異名)の神なり、我は慈悲と愛を我が名とし創造した…」

が、この石は黒石ではない。
黒石は、天から落ちて来た(大天使ジブリールにより齎された)石で、
落ちて来た時はミルクのごとく白かったが、人間の罪ゆえに黒く変わったという。
黒石を神殿に据え置いた親子は、それからジブリールに導かれ、
人類最初の巡礼(ハッジhajj)をしたのである。


 (イブラーヒームが最初の礼拝をした「足跡」が石に刻まれている)


以上が物語のひとつだ。アラビアからエルサレムは、聖なる伝承なら一飛びだ。


現実の大巡礼では、「石」が重要な役割を果たす場面が、もうひとつある。
それが、巡礼最後に近く行う「石投げの儀式(ジャムラ)」で、
荒地で拾った小石を、ミーナの地で悪魔に見立てた3つの柱めがけて投げる。
正式には70個、写真で見ると小指大で危険な大きさではないが、
最も大きな石投げ場には毎年人々が殺到し、死者も出るほどに危険という。
ゆえに、多くの女性は男性に代理投げを頼むそうだ。


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岩を祀る

最初のアーミッシュがペンシルヴァニア到着した、ちょうど100年前。
最初の清教徒が英国を出てマサチューセッツ湾岸の入江プリマスに辿り着いた。

それは1620年、日本では大阪城陥落から5年、家康が駿府で死去(薨去)して
4年が経たった冬、クリスマスに近かった。

言わずと知れたメイフラワー号のピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)、
プリマスで船を下りた彼らが最初に足で踏んだ記念の「岩石」が Plymouth Rockとして
残されている。ギリシア式神殿の柱に囲まれ、さらに鉄檻で囲まれて。
日本人なら「祀る」ところだが、WASP流の結界表現、聖別表現なのかも知れぬ。


もちろん、これは伝説の石で「これぞ、その御石じゃ」と1741年に認定したのは、
後続渡米してきたピューリタンの子息で、プリマスの教会に属していたトーマスなる
長老(一説に当時95歳、98歳説もあり)だ。
トマス老は子供の頃、父親や存命していたメイフラワー一派から
当時の様子や「石」について何度も聞かされていた。
98歳の長老の言に誰が異論を唱えられようか、プリマス・ロックは「建国の礎」となり、
いろいろあって、1620という年号も刻まれ、1920年に現在の場所に祀られた。
重量は目に見える部分で4トン、地中が6トンという。

アメリカ軍のベトナム撤退から2年、サイゴン陥落から半年の1975年10月、
ボブ・ディランと仲間による「ローリング・サンダー・レビュー」ツアーは、
最初のライブに、ここプリマスを選んだ。すでに、これも伝説に近づきつつある。
LIVE 1975

プリマスロックに象徴されるように、ピルグリムファーザーズは
アメリカ建国神話の一部に他ならない。
いわゆるヤンキーに聞くと、5人に1人は「ウチの祖先はメイフラワーに乗って来た」と
胸を張るというハナシもあるくらいだ。有名人では、F.ルーズベルト、ブッシュ、
ビング・クロスビー、H.ボガート、M.モンロー(ホントか?)と並ぶ。
かつてテレビや映画でインディアンと闘っていたC.イーストウッドも
メイフラワー子孫(それも総督ブラッドフォードの)と言われるのも神話的だ。

われわれ日本人も、建国の礎 理想に燃えた聖徒 自由と民主主義の第一歩と
教えられた記憶があるが、どうも真実と神話はあい混ぜになっているようだ。

さて。
船客102名のうち、ピューリタンは約20家族50名、
これはオランダに亡命し10年以上暮らしていた人々だ。
イギリスから「ワシらも」と乗った国教徒入植者は約30名で、
この中にはプリマスの自警団長となりインディアン襲撃も行った
元兵士スタンディッシュ(Myles Standish)もいた。
残りは、ピューリタンの奉公人(子供の先生含む)18人、1年契約の職人5人。
(この詳細はWikipediaのリストによる、W.ブラッドフォードの自筆リスト

戦争ペスト寒さ餓えが周期的に襲うヨーロッパを脱出し人間らしい生活をしたい一派と、
国教徒から迫害を受けピューリタン信仰を守り抜こうと頑固な一派は、
ゆえに、2カ月余の航海でたびたび衝突したという。

むりもない。鮨詰めの船なのだ。
メイフラワー号は、もとはフランススペインからロンドンへワインを運搬していた
貿易商船で新しくもなく、3本マスト長さ27m180トン、コロンブス1492年乗船の
サンタマリア号と同程度で、決して大きくもない。
そこに、ベッドテーブルイスをはじめ、犬羊山羊、調味料どっさり、オートミール、干肉干魚、
さらにビール400樽を積み込んだ。なんせ帰るつもりのない覚悟の「引越し」、身の回り丸ごとの移動である。

実は。
ピルグリム航海は「メ号」だけでなく、もう一隻スピードウェル号があった。
この「ス号」が水洩れで航海不能となり、11人がメ号に追加乗船した。
こうなれば芋洗いである。

英国出港時に「ス号」トラブルがあったせいで、出港は予定より1カ月余遅れた。
すでに9月も半ば(16日)、そのせいで、大西洋には季節風が吹き荒れ、揺れる揺れる。
ビールはあるが水は足りない。野菜なくビタミンも足りない。
ヘトヘトになった船と人は、目的地のヴァージニア入植地ではなく
マサチューセッツ湾のコッド岬(Cape Cod)に着く(11月21日)。


この地への入植になんら法的根拠がないため急遽、船中で有名な
「メイフラワーコンパクト」を作り、碇を降ろすも、先発隊が
「ここはアカン。物資が運べん、家ができん、インディアンがいるようだ」と報告。
なんせ妻子の命もかかっているゆえ、さらに探索し、ようようプリマスに辿り着く。
すでに12月21日。ここで、伝説の「岩」(上の絵・左、右は冬景色)が登場する。
「ここなら良かろ」と、本隊が上陸したのは12月26日だった。

出港の地が英国プリマス(ここも石門のモニュメント Mayflower Stepsあり)だったため、
上陸地を同名に名づけた説と、いやいや、17世紀初めに作られた北米地図に
プリマスが既にあり、コッド岬の次候補として地図を見た時、対岸の地名に
天啓を感じたと。前者はやや俗なる説のようだ。

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大国主と,根國の琴

オルフェと日本神話イザナキの冥界訪問の類似は、よく知られている。
「亡き妻を追って冥界へ行き妻を取り戻すが、もうひと息のところで
 振り向いてしまい、永遠に妻を失う」という筋立てだ。

しかし、ハープと冥界に関連する日本神話は、もうひとつある。
それが、オオクニヌシ(大国主命)の根國(冥界)訪問だ。

スサノヲの子孫とされるオオクニヌシは別に4つの名(オオナムヂ・アシハラシコヲ・
ヤチホコ・ウツシクニダマ)を持つ神で、多くの兄神がいた。
稲羽(因幡=鳥取)に、美女(ヤガミヒメ:八上比賣)がいるというので、
兄らと共に求婚に行くが、末弟であるオオクニヌシ(この時点はオオナムヂ)は
兄らからさんざんに虐められる。
稲羽に着き裸兎を助ける話
も、ここにある。

ナムヂ(オオクニヌシ)の試練

で、美女は、兄神たちの求婚を断り、オオクニヌシに嫁ぐと云ったため、
兄らはオオナムヂを二度も殺すが、祖神(サシクニワカヒメ)の願により甦る。
このままではホントに子孫の命がなくなると、オオナムヂに
「あなたはスサノヲが統べる根國(黄泉)に行きなさい」と命じる。

根國に着くと、美女(スセリビメ:スサノヲの娘)がいたので、たちまち契って夫婦に。
ヒメが、父の大神スサノヲに事後報告に行ったところ
「おいおい、あいつは中ッ國の醜男(ぶおとこ=強い男)と呼ばれてる奴だぞ」と云い、
さまざまな試練を与える。蛇がうじゃうじゃいる部屋に寝かされたり、
野原に行かされ周囲から火をつけられたりするが、妻の助けで切り抜ける。

そのうち、大神スサノヲは寝てしまう。で、オオナムヂは、大神の髪を
部屋の垂木に結びつけ、石で戸を塞ぎ、長居は無用と夫婦でスタコラ逃げ出す。
妻を背負い、さらに、スサノヲの太刀と弓矢と琴(天の詔琴:アメノノリゴト)を持って。

が、琴が樹に引っ掛かって大地が揺れたため、大神は目を覚ます。さあ、大変だ。
大神はガバと起き部屋を引き倒し、追ってこようとするが、髪をほどいている間に、
ふたりは遠くまで逃げおおせ、ついに黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ:冥界と現世との
境界)を越える。ここが、イザナキの話と異なるところだ。

そこでスサノヲは
「ならば、その武器で兄神らを平伏させよ。娘を正妻とし、オオクニヌシと名乗って、
 出雲に宮殿を建て、そこを治めよ。コイツめっ」と。

この話が示しているのは…
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ギネスの竪琴


1759年にアーサー・ギネスなる若者が、廃業した醸造所と
なんと9,000年の賃貸契約を結んだという神話を持つギネスビール。
実際は、父親が領民のためにつくってやっていたビール醸造所を
兄から譲り受けた(しかも34歳で)のが真相に近いようだが…。
このグラスや缶についているマーク。これは、竪琴(ハープ)だ。
なにゆえかは、ケルトおよびアイルランド(愛蘭土)の歴史に由来する。

まず、ケルトという語も実に曖昧なのだが、紀元前後の古代ヨーロッパでは、
ギリシア・ローマの地中海世界から見て、北方に住む未開蛮人たちは
十把一絡だったのではないか。そうした観点からすれば、
ケルトは、ゲルマン(現スカンディナビア・ドイツ北部の居住民)とは
明らかに違う文化・世界観・価値観を持っていた、北西に住まう人々というほどか?
「ヨーロッパの古代先住民だ」と一言で済ます手もある。

BBCがエンヤを起用して創ったドキュメンタリー風ドラマ(1986年制作)は、
古ヨーロッパの「オークの森の民」や「魔術や妖精と暮らす民」との浪漫な想像を
かき立てたが、そのイメージだけが増幅されてきた面も否めない。

Celtic Cross
言語系統で分けてインド・ヨーロッパ語族のケルト語派(これにも2種あり、
現存はアイルランド語・カナダ一部で使われるスコティッシュ・ゲール語等の
「ゲール語」種と、ウェールズ語・フランスブルターニュ半島で使われる
ブルトン語等の「ブリテン語」種)を話した人々という定義もあるようだが、
われわれには複雑すぎる。イギリス人考古学者らは、「ケルト」という用語に否定的とも云う。

現在の国(州)名で、「ケルトの子孫」と信じる人々が多いところは、
ガリア(ゴール・ゴロワ)部族およびブルトン部族の子孫たるフランス人、
ベルガエ部族の子孫たるベルギー人、そして、アイルランドとウェールズ。
スコットランドはどうか?ウイスキ・観光の商売では諾とし、内心は否かも知れぬ。
ボルドー(Bordeaux←Burdigaraはケルト由来)のあるアキテーヌ地方も、
青銅器文化のケルトが造ったという伝説があるが、現在は関係が薄い。

ヨソ者がとやかく云うことでなく、いま、その地に住んでいる者らが
過去(歴史)との関わりを自分らのやり方で観ずればよい。
それがアイデンティティなるものではないか?

ま、それはともかく、ようやく本題(笑)。
ローマ帝国やゲルマン人の領土拡大力に脅かされ、大陸の西へ逃れた。
カエサル(シーザー)率いるローマ軍とケルト人が戦ったのは、2千年前だ。

鉄器文化を持つに至ったケルトが、先住アイルランド民(狩猟民と青銅器文化民)を
統合支配しケルト社会をつくったのは、A.D.400年頃。
ドルイド(Druid)なる階層に率いられる家父長大家族制の農耕社会だったらしい。


こうしたケルト社会の形成期にキリスト教が入ってきた(最も有名な聖パトリック
入愛は432年頃)ためか、古ケルトの宗教が一神教的な性格が薄かったためか、
宗教衝突・戦争がなく、ケルト的キリスト教として学問・美術・文芸に浸透した。
これは、日本の仏教受容と、飛鳥・天平期の文化隆盛と一脈通じるものがあるようだ。
(本筋からずれるが、この聖パトリックという人の生涯は興味深い)

この5〜6世紀は、かのアーサー王(アーサー・ペンドラゴン)伝説の時代で、
後見人の魔術師マーリンは卓越したハープ弾き、アーサー王が傷を癒した
常若の島アヴァロンでは皆ハープを学ぶ、と描いた書もあるようだ。

800年頃になると、4人のリーダー(王)が愛蘭土を分治するが、
やっかいなヴァイキング(Norsemen)の襲撃略奪も始まり、ダブリンに居着かれてしまう。
挙国一致で敵から故郷を守るというほどには、国家統一がなされてなかったし、
このあたりは、フビライ・ハン軍の元冦を切り抜けた日本と違うところだ。


さて、そこに現れたは愛蘭土の英雄、偉大な王様のブライアン・ボル(Braian Boru)
ヴァイキングを追い出すキッカケとなる全土の政治統一は、1002年のことだった。
この偉大な王の名をつけたハープ(Brian Boru Harp)は、愛蘭土の国宝級品ならぬ
「国の象徴」であって、国章コイン・パスポートまでに付与されるイコンだ。
ダブリンのトリニティカレッジ図書館に永久保存されている。
先年の名古屋万博の折には、複製だがアイルランド館内に陳列された。

これが、なかなか因縁あるハープで…
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Calliope   女神は9姉妹
ギリシア神話。ゼウスは記憶の女神ムネモシュネを妻とし、その間に9人の美しい娘が生まれた。それが芸術の女神たち。女神はムーサ(Musa)、複数形でムーサイ(Musai)。英語ミューズ(Muse)の語源であります。ムーサイの中で最も優美で至上の歌声をもっていたのがカリオペ(Calliope)という名の女神だ。さて、写真CDは、ミシガン州イーストランシング出身の4人組バンド「カリオペ」の1999年盤「(イン)オーガニクス」。Thickなるインディーズレーベルに所属する彼らの音楽は、ステレオラブトータスファイブスタイルに影響を受け、いろんなジャンルの音楽を隠し味に使う。独特の浮遊感覚がいい気分だ。ジャケットも毎回素晴らしい。⇒試聴
2004年最新作「Sounds Like Circles Feel」は日本盤もリリースされている。
★カリオペ Official Web
http://www.calliopecalliope.com/

次に、ギリシアで現在活躍している美しい音楽の女神を9人あげてみよう。今回は、良質の音楽を紹介している西新宿のCDショップ「ガーデン・シェッド」さんのWebにずいぶん勉強させてもらいました。感謝。

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